世界的な音楽家坂本龍一さんは10年ほど前反原発を謳い「たかが電気」と発言した。YMOは電気ありきのバンドなのに。

渋谷系ポップスで一世を風靡した小山田圭吾さんは、いじめ問題でオリンピックの音楽担当をやめた。

 

いい音楽は必ずしも世間一般的に想像される「いい人」から生まれるわけではない。むしろ逆かも?かといって私は犯罪者になりたいわけではないけど、人間って案外失敗作みたいなのが多いんじゃないかな、と思った。みんなそれぞれの思う「完璧」になりたがるけど、こんなに世の中の人間がいわゆる「失敗作」だらけなら、完璧になるっていうのはあまりにもハードルが高すぎやしないか?それなら完璧になんてならなくてもいいんじゃないか?ハードルが高いからこそみんなそこを目指して完璧になろうとするのか?そもそもその人たちにとって「完璧」とは何なのか?元から底辺の私にはわからない。でも、人間矛盾なところがあった方が、面白いなと思った。

 

別に前述の2人はちっとも面白くないが、彼らの音楽に嫌悪感をこれから持つかというと、そうではない。そう言う事実があったからCDを焼き払えと言われても、多分出来ない。大切に取っておくだろう。コーネリアスのコンサートにも都合が合えば行くだろう。(正直私が行った2018年のMellow Waves Tour以降二度とコーネリアスのライブを見れなくなると思っていたから、すぐ復活して安堵した)なぜか?それは、私は「曲に罪はよっぽどのことがない限り無い派」だからだ。それに、私はものを言うにはあまりにも度胸がないからだ。

 

私には人を批判しきれないところがある。勿論ボロクソに言うのもあるが。なぜなら自分が加害者だった、人に迷惑をかける側だったから、人のことなんて言えないのである。それとこれとは違うと言う人もいるだろう。でも私は、罪を犯した、人間の倫理から外れた行動をした人に、一種の「同情」をしてしまう事が多い。

 

東京リベンジャーズのマイキーというキャラは、「黒い衝動」という特殊スキル?を持っていて、その黒い衝動が発動すると、相手をボコボコのメタメタのコテンパンにしてしまうそうだ。(東リべは実写版の知識しかないので、間違ってたらすんません)

ネットでは、厨二病だとか黒い衝動(笑)だとかで馬鹿にされていたが、私はというと…

マイキーに同情した。

あるある。わかるよ、それ。気持ちが暴れて、何にも手につかなくなる時、あるよね。私が男だったら、感情的になって人に暴力を振るっていた世界線もあっただろうなって今考えれば思うもん。

 

このように、他人からすれば、どうしてそんな発言・行動をするのか、と思われるようなことでも、妙に気持ちが分かってしまったりして、辛くなって、手が引っ込んでしまうのだ。私は完璧でもいい人でもないから…