選択

 

 

買ってから全く使っていない物理の教科書。こうなることは薄々わかっていたので、物理の先生に勧められたとしても「買わない」という選択肢を取ることもできたはずなのに。買ってしまった。

理系クラスも、本当なら文系に進むことだってできたはずなのに、理系に入ってしまった。数学も嫌いなのに、一周回って好きなんじゃないかと思うくらい課題をやるときには数学に執着する。数Ⅲを取るか取らないかで。

取らない方が絶対楽なのに、クラス決めギリギリまで迷って、最初は取ることを決めていたが、辛うじて、最終的には取らないと決めた。

別に先生や親に、命令されたわけでもないのに、心の中で誰かが「買え」「数学をやれ」「数Ⅲとれ」とでも言っているかのような…嫌いなのに。嫌いなはずなのに。そういう変な、どこかから勝手に湧き出てくる思いにとらわれて、間違った選択をしつづける。

これは何かの病気なんだろうか。

いったい私は誰にさいなまれているのだろうか。そして親に笑われる。どうしてそんな選択をしたのだ、と。

こういうのを強迫観念とでも呼ぶのだろうか。自分に本当に必要なものをとれずに失敗しつづける。

いろんなところに行きたいのに気づいたら家に帰っているし、まるで意識がとぎれとぎれになっているようだ。――1月8日の日記より

 

 

日記帳をめくったら、以前このようなことを自分が書いていた。いまから半年ないくらい前に書かれている。この「強迫観念のような何か」は、今も自分にまとわりついている。

自分は昔から数学や物理が苦手だったので、今の状況は飛んで火に入る夏の虫だ。

日記の中では、「数Ⅲは取らないことにした」と書いているが、これは嘘だ。この後、学年が変わってから数Ⅲをとるコースを選択していたことに気づき、絶望する。

同じ日付でページは替わり、このようなことも書いてあった。

 

 

他人「こうしたほうがいいよ」

→私「やっぱりこうしたほうがいいのかなぁ」(ナゾの声)

脳「こうしろこうしろこうしろこうしろしろしろしろしろ絶対にしろ!!!!!」

私「やっぱりこうしなきゃ!」(こうしないといけないですよねすみませんでしたこうしますします)(不安にさせる)

私「こうしなければよかった…」のくりかえし(ザ・後悔)(もっと考えようとすればするほど思想が強くなる)

これこそ「交わしたはずのない約束にしばられ破りすてようとすればうしろめたくなるのはなぜだ」て気持ちだ。Drifter.

 

私を支配するナニかがいる以上私が子供である以上

この強迫観念にとらわれ続けることになりそうでこわい

自分は欲望の塊だから落ちつけようと強迫観念さんが

私を地獄に誘おうとしているのかもしれない(いましめ)

欲望が暴走したらしたで自分がどんどんダメになっていきそう

かといってこのままだとツライ生活になりそう どっちもイヤだ。

今のままじゃ くるしいよ

 

 

「交わしたはずの…」というのは、キリンジというアーティストの楽曲、「Drifter」の一節である。

最後のほうは筆跡もあらぶり、感情が暴発してしまっていることが見えた。

 

状態は未だ改善していないが、なんとか生きていきたいと思います。

 


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