私とゲームのちょっとした話(上)

 

私は、ゲームが苦手である。
それだけ言えば、別にゲームが苦手な人類はこの世にたくさんいるので何も感じないだろうが、昔の――数年前の私からすれば大・大・大問題だ。今思えば、大したこともない。でももし私が「ゲーム」と無縁の世界で生きていたら、こんなコンプレックスも感じることはなかっただろうに。

 

物心ついたときには、パソコンやiPodYoutubeを見ているような子供だった。そんな私はゲームが欲しかった。ちょうど3DSがバカ売れしていた時期だった。誰もが3DSを持っていた。テレビかどこかでCMを見たのか、「トモダチコレクション新生活」が欲しかった。本当に欲しかった。でも、親はしきりに拒否して買ってくれなかった。親はゲームは悪いものだと思っていたのだろう。

 

ゲームが無かった私は、どうしたのか。

 

まず、公式サイト巡りをした。任天堂のソフトの公式サイトは、意外と凝っている。まずリンクを開いてすぐにキャラクターの可愛らしい絵が飛び出してくる。カーソルを合わせるとキャラクターが動いたりする。公式サイトを見るだけでも、そのゲームを遊んだような気分にさせてくれる。マリオシリーズカービィ(その時の最新作はトリプルデラックス)のサイトを延々と見まくった。楽しかった。でも、やっぱりゲーム本体が遊びたかった。

 

そして、Youtubeで実況動画を見まくった。当時見たので覚えているのは、星のカービィ64マリルRPG(どのナンバーかは忘れた)、妖怪ウォッチ。プレイヤーがギミックに四苦八苦しながらステージを進めていく様子が楽しかった。小学生が、夜中の3時4時まで動画を見ているのだ。怖いだろう。他に遊ぶものもなかったし、暇さえあれば何時間もパソコンと向かっていた。当然、視力が悪くなる。1年生のときは両目ともAだったのに、2年に入って突如Cになる。両親も私も驚いた。でも、動画を見るのをやめられなかった。ゲームは依然買ってもらえない。

 

 

時が進むに連れて、私は仲の良かった男友達の家でゲームを遊ぶことになった。念願の初ゲームである。ウッキウキで男友達宅に向かう私。そしてあったのが、大きなWiiUと、スマブラのソフトである。コントローラーを握りつつ友達の説明を聞き、いざ対戦――

 

いや、難しすぎる…!

 

その後も何度かその友達の家に通ったが、ゲームは思った以上に難しい。私が必死にボタンを押している隣で、友達は涼しい顔で私をボコボコにする。なすすべなし。そりゃそうだ。友達は毎日毎日ゲームを遊んでいるから慣れているが、私はそうじゃないからだ。友達のその友達もゲームが得意な人が多かった。新作のゲームが出るたびにみんな盛り上がっていた。楽しそうだった。私だけが会話に入れなかった。

 

結局私は「自宅にゲームがない」というコンプレックスを引きずったまま小学校時代を過ごした。

 

どうしてそこまで大きなコンプレックスとなったのか疑問に思う人もいるだろう。それは、私が当時「ゲームプログラマーになる」という夢を持っていたからだ。パソコンが得意だった私はとりあえずプログラミングを職にしたかったのだ。でも、ゲームプログラマーになるには、まず「ゲーム」というものがどういうものなのかしっかり把握しておくことが必要だろう。マリオやゼルダの面白さを知っているからこそ、面白いゲームというのは作れるのだ。他のみんなは、幼少期に遊んだゲームの思い出が経験となって積み重なっている。「こういう仕掛けを作ったら面白いだろう」、とかのセンスが自然に身についている…と私は思った。ともかく、ゲームで遊んだ経験がなければ、ゲームを作る、ましてやゲーム会社に就職して面白いゲームを作るなんて不可能だ。この思い込みがものすごくあった。だから私はゲームが欲しいと懇願した。経験が未来に直結するから買ってくれ!という気持ちだ。
でも、親はゲームを買ってくれなかった。

 

中学に上がって、転機が訪れた。我が家にファミコンミニが来たのだ…ファミコン?このご時世に?それはさておき収録されていた作品の中に、私の大好きなキャラがいた。
タイトルの名前は、星のカービィ夢の泉の物語だ。

 

かわいいかわいいカービィちゃんを拝むため私は早速順調に進めていった。所々ごり押しだったが最初はそれでよかった。しかし、オレンジオーシャンに入ったあたりで、だんだん効かなくなってきた。難しくなった。ボスだけで言うならペイントローラーから難しくて何回もやり直した記憶がある。それでも私としてはへこたれずに進めた。何回も、何回もやり直して、美しいBGMも聞きつつ、ついにレインボーリゾートにたどり着いた――

 

 

が、とてつもない壁が待っていた。ナイトメアパワーオーブである。なんだよあいつ。急にシューティングゲームになるし。時間制限あるし。ただでさえその前のデデデ大王も難しかったのに。もう無理だ、これ以上は進められない。諦めかけたその時、母親が
「貸して」
私は素直にファミコンミニの小さなコントローラーを手渡した。実は親は、ゲームが好きな人類だ。父の家はセガ派だったらしく、父はメガドライブソニックを遊んでいた。母は子供の頃はファミコンで遊び、社会人になってからは仕事から帰った後はずっとFF7をしていたそうだ。(本人の思い出話より)この話を聞いたとき、私は懐かしみを感じたとともに、憤りを感じた。どうして私が得ることのできない悦びをいとも簡単に両親はほしいままに授かっているのか?とさえ思った。


…だが、ここはゼビウスグラディウス経験者に任せるしかない。
母がコントローラーを持って十数分。クリアしてしまった。そして、私はナイトメアウィザードに立ち会うことができた。しかしなんという屈辱。結局クリアするのが大人だなんて。

 

欲しかったゲームが(一応)手に入った私が思ったこと、それは、「自分にはゲームのセンスがない」ということだ。他人がいとも簡単にクリアできるところが、私はできない。ゲームに魅せられた人類なのに、まさかの全くできない。

 

私は絶望した。

 

 

 

いろいろ書いていたら、とても長くなってしまったので、2つの記事に内容を分割することにした。

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zumo0210.hatenablog.com