私とゲームのちょっとした話(下)

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zumo0210.hatenablog.com

 

 

 

結局私は、そのまま「家に(これといった流行りの)ゲーム機がない」というコンプレックスを抱えたまま今に至るのだ。

 

最近は、父がスーファミミニを買ってくれて、弟と一緒にスーパーマリオRPGを遊んでいる。これはこれでなかなか面白い。

…でもそんなもの遊んだところで学校の誰と盛り上がれるんだ?

 

すれちがい通信うごメモ妖怪ウォッチ

 

ドンピシャ世代なはずなのに。

二度とリアルタイムでその興奮を感じることはできない。

なんという悲しみ。

 

今じゃみんなは周りで「○○(シリーズ)の新作出たから買いに行こう!」とか言ってるもんだ。

私は?私には何がある?カービィやUndertaleの良さを嬉々として語るがその本性はただのエアプにわか動画勢である。こんな自分は嫌だ。なんとかして作品を遊びたい。

 

 

でもいざ遊んでみるとやっぱり、難しい。

 

私からすれば、ゲームと勉強は同じ、だ。どちらも同じくらい難しく、頭をフル稼働させるものだ。

 

これは持論だが、ゲームが得意な奴はたいてい頭がいい。成績が良くないやつは頭の良さをすべてゲームに捧げているからであって、頭が悪いわけではない。ゲームが下手なやつは頭も悪い。要領が悪い。まさに私。

 

これに関するものとして、私は昔から「ゲームオーバー」という概念がとても怖かった。RPGならHPが0になる。アクションゲームなら残機がなくなる。これが嫌だった。だって、ゲームオーバーになると、それまで自分が頑張ってきた過程がすべて水の泡になるじゃん。全部消えて最初からやりなおし。特に昔の作品は。

しかも、ゲームが下手だとそれを何回も何回も経験する羽目になる。恐怖でしかない。死ぬのは嫌だ。前にそれを親に話したら、嘲笑された。そりゃそうだけどよ…怖いんだよ!(でも最近のゲームは残機制じゃない親切設計なものもあるらしい。例:スーパーマリオオデッセイ、星のカービィディスカバリー

でも、やっぱり流行っているんだし、大人になったら自分のお金で何かしらゲーム機買って遊びたいなぁ。でもその頃にはSwitchの次世代機が出ているんだろうな…時代の流れって早いな…というかSwitchが出て6年経っているという恐怖。

 

 

嗚呼。