それはかつて一部の音楽通にとっての「月の裏」だった。
キリンジの「3」は言うまでもなく名盤である。リリースされたのが2000年の11月。20世紀の終わりである。本当にシングルだけを集めたようなアルバムだが、その中に、ひときわ凄まじい魅力を世に放つ曲がある。
私がキリンジの世界に入ったのは家にたまたまあったペイパードライヴァーズミュージックからなので、特別この曲に思い入れがあったわけではないが、この曲が深夜によく合うこと合うこと。
…しかし、今となってはそのベールもはがれ、もう「月の裏」では無くなってしまった。YoutubeのMVの再生回数は今や2600万回を超えている。秦基博はまだしもどこの馬の骨ともわからない歌い手にカバーされている。もどかしい気分だ。
今の人類にとっての「月の裏」はどこにあるのだろうか。街を見れば、いたるところに人の目、政府の目、防犯カメラの目、どこかで確かにずうっと見られている。
月の裏も、僻地も、いつかは無くなってしまう。もうじき人類は月に旅行に行けるようになるだろうし、僻地も建物が建つかもしれない。
いつか私も、この歌のように誰かに心のありったけを捧げるようになる日がくるのだろうか。今はまだ、本気で愛している人がいない。東京に行ったとき、後輩たちが「推し」のグッズをアニメイトで買いあさる中、私は一人、東京に価値を見出せずに表参道をさまよっていた。誰かを想ったことがない。でもつい最近キンプリにはまった母は「推しは突然できる」と言っていた。そういう日がくるのかな。ちゃんと人を愛すことができるのかな。
それにしても、このエイリアンズの動画で、気持ちよさそうにコメントしている人たちの一体どれほどの割合がこの曲の良さを真に理解できているのかは気になる。そういう自分も、どれだけ理解できているかどうかは分からないけど…
というかそこまで深堀りして聞くという行為がどうなんだろうか。分からないものは、分からないままにしておくというのも必要だと私は思う。