願い

SNSで日本を下げるような発言を見ると

心臓がバクバクしてきて

つらくなってくる

 

嫌なら見るなとは言われるけど

ネットサーフィンをしている以上

そういう投稿を見てしまうのは 避けられないわけで

 

こんな右翼でごめんね

 

でもね 私はね

まだ 希望を持っているんだ

あなたたちは既に 捨ててしまったかもしれないけど

 

この国だって まだまだいける

この国の未来を明るくできる と思っている

…根拠のない自信だ

 

確実なのは 今生まれて 今を生きている人たちがいること

日本に多大な貢献をしてくれる可能性がある のに

その人たちの未来まで 暗闇に包もうとしているの?

 

もっと楽しくいこうよ

じゃないともっと悲しくなっちゃうよ

 

 

お願いだからさ

埋められない空虚

 

 

子供のころ、ゲームが欲しかった。それはそれは死ぬほど欲しかった。でも、親が買ってくれなかった。なんにも買ってくれなかった。

 

しかし最近、その状況も大きく変わった。我が家にやっと、悲願のSwitchがやってきたのだ。早速弟と親はマリオカートスマッシュブラザーズを遊んで、楽しんでいた。

 

…私はなぜだか楽しめなかった。ゲームの向き不向きじゃなくて、なんだか心にむなしさを覚えた。なぜだろう。

 

 

ゲームさえろくに集中できない

 

woman.nikkei.com

 

私は、長い間ゲームの動画勢として生きてきた。れっきとしたYoutube廃人だ。ゲームはYoutubeのなかのアトラクションであって、実際にコントローラを握ってするものではない。それが当たり前だった。

 

動画は見るだけなので楽だ。ゲームは最低限自分で話を進めなければならない。動画勢スタンスで十数年の年月を過ごした私にとっては、もともとのどんくささも加味されて、ゲームさえ集中してするのが難しいのだ。10分も遊べば、脳が疲れてくる。ボスをうまく倒すことができず、途中でやめてしまった。へたくそなので、周りのうまい人たちとなじめなかった。過去の経験が、ゲームに対しての苦手意識を強めすぎて楽しめなかったのかもしれない。

ゲームが好きなのに、そもそもゲームがまともにできる体ではなかった。実際ゲームをまともに遊んだこともない。それで「ゲーム好き」と言えるのか?無理だろう。そんな自分に対してのやるせなさ、ゲームに対するむなしさがあったのだろう。

 

でも、おなじYoutube廃人である弟は、素直にゲームを楽しめている。なぜか。

きっと彼は小学生だからだろう。子供の時は、どれくらいだって集中力があるし、いろんなことも初めての経験だから楽しめるのだろう。でも、私は違う。なにもかも楽しく遊べた時期をとっくに過ぎてしまったのだ。

 

 

そもそもの疑問として、私はどこをどうとってゲームが好きという気持ちを生み出したのだろう?

 

ゲームの世界観が好き

ゲームにおける世界観の作り方〜文豪とアルケミストの場合 - DMM inside

 

私が思うにゲームとは、さまざまな技術の集合体だ。下の図を見てほしい。

 

 

ふだん1ミリもゲームしてないやつがこんなのを力説するなんて滑稽だな。

とにかく、ゲームにはいろんな開発に携わった人たちの努力が通常は詰まっている。それも幅広い範囲のものが。ゲームとは、ひとつの「作品」なのだ。

でも、どちらかというと私はゲームの世界観を眺めているのが好きで、それゆえゲーム本体を動かすことは想定しておらず、実況動画ばかり楽しんでいたのでは?

(まあ、遊んだこともなかったから、そんな選択肢なんてないもんな)

この考えだと、自分がカービィのようなファンタジックな作品が好きで、リアリスティックな作品があまり好きではないことにもつじつまが合う。

 

 

 

小学生の時にゲームに触れられなかったのは不運だったが、これから自分が本当に欲しいと思う、出会ってよかったと思えるソフトが現れるとは思うので、焦らずにいきたいな。

 

物理

はっきり言おう、物理というのは非常に難しい。

それを証明するために、私が遭遇した問題を挙げてみよう。

 

 

問題:
なめらかな斜面ABとそれにつづく水平面があり、斜面上の点Aに質量mの小物体を置く。点Aから静かにすべり出した小物体は点Bから空中に飛び出した。

点Aの水平面からの高さはh 

点Bで飛び出すときの速さはV0 

また、重力加速度の大きさをg 

空気抵抗は無視

Q.点Bでの小物体の速さV0はいくらか。

 


という問題だった。選択肢はそれぞれあったが、ここで私は気づいた。

ははーん。さてはこの問題、位置エネルギーの公式「U=mgh」が関係しているな。選択肢にも片鱗が見える。なんかわかる気がしてきたぞ。

 

…いやちょっと待て。


ルート、お前はどこから来たんだ???(選択肢の全てに√がついていた)


なにか位置エネルギー以外にも公式が紛れているな…しかし何なんだ?他には見当たらないぞ?私は見つけることができなかった。

結局分からなかったので、潔く解答を見ることにした。するとこう書いてあった。

 

 

解答:
点Bの位置を、重力による位置エネルギーの基準とすると、力学的エネルギー保存則

 Aでの位置エネルギー=点Bでの運動エネルギー より
 

mgh = 1/2mV0^2 
 

よって V0 = √2gh

 


…え、そこ!?というのが、私のリアルな反応。

まさかの1/2mv^2(運動エネルギーの公式)が関係してくるの!?予想になかったな。

どうりでこの二つの公式を同じタイミングで一緒に習うわけだ。今、やっとわかった。

このように、物理(もしくは数学)の問題というのは、一度の問題で2つ以上の考え方を使わないとなかなか解くことができない。私はこれが苦手なので、物理や数学も苦手だ。


というか、これが物理基礎の問題だなんて、信じられないよ…

 

感動

 

Youtubeに転がるピアニストの演奏動画を見るたび、

 

「涙が止まらなかった」

「これは泣いてしまう」

 
などとコメントされていることがある。

 

私は人の演奏を聴いて泣いたことがない。

たとえその演奏が、とてつもなく素晴らしいピアニストのものだったとしても。

 

 


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単純に、「すごい」とは思う。感心する。

でも、深く心を揺さぶられることがない。

 

音楽不感症を疑ったこともある。

でも、まったくもって音楽に感動しないというわけではない。

aasj.jp

 

 

そうだな、音楽を聴いていて感動したのはどんなときだったっけ。

 

以前、とある吹奏楽のコンサートに行ったことがあるが、初っ端で演奏された「オリエント急行」は、とても感動した。

 

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初めて聞いたときに、「こんな素晴らしい曲があるのか!」と思った。

 

華々しい曲の始まり。それから、吹奏楽の音色で完璧に再現された列車の音。そこから新たなメロディーがスムーズに始まる。なんて綺麗な曲調のトランジションなんだ。

 

それを、とてつもなく響きの良いコンサートホールで、そのうえ大人数でやるのだから、それはもうすさまじい迫力で…

それからこの曲は私の新たなお気に入りのひとつになったのだ。

 

 

好きな曲というのは、たくさんある。当然それを生み出す作曲家にも、好みがある。

なるほど。音楽自体で感動することは、あるわけだ。

しかし、好きな演奏家は、とくにいない。これが真の問題だということに私は気づいた。

 

ある人曰はく、『辻井くんのラ・カンパネラがやっぱり一番だわ』。

耳の肥えた人は、好きな演奏、苦手な演奏がある。

J-popやボカロの曲だったら、「本家(原曲)至上主義」というのは私にもある。しかし、クラシックの曲はもはや昔過ぎて本家とかないだろう。よっぽど現代の作曲家でもなければ、本人の演奏を聴くことはできない。それゆえに、演奏する人の解釈が必要になる。解釈が人それぞれだから、演奏家ひとりひとりに個性が浮き出る。

でも、演奏家という存在は、とくに私の好みに影響を及ぼす存在ではない。「この人の演奏で、私はとても感動しました」なんてことは、まったくなかった。

 

そう、私は結局「曲単体」が好きなのであって、別に弾く人はある程度上手ければ——たとえばプロとかだったら、正直どうでもいいのだ。私にとっては。

 

こんなことを言ってしまうと、音楽界のお偉いさんたちから一斉に糾弾されそうで怖いが、私は、「どうでもいいだろ」と言ってバカにしているわけではなく、ガチのマジで聴いても違いがわからないのだ。

 

2022年に開催されたショパンコンクールでは、多数の日本人のピアニストも出場した。それにしたがい、公式からアップロードされた動画も見た。

やはりコンクールなだけあって、相当上手い人が集まっているのに、選考から落ちてしまう人と、上がる人がいた。

しかし私は彼らの違いがうまく分からなかった。唯一分かったのは、反田恭平氏と角野隼人氏の葬送行進曲の弾き方に違いがあったこと、くらいかな?

 

今の私では、ピアニストたちの特色をちゃんと見出すことができない。私に不具合があるのだ。

これが、私が昔から悩んでいる、「上手い人と上手い人の違いが分からない」ことである。ピアノを弾いている方々には、本当に、申し訳ない。

 

それだからなのか、ピアノ系Youtuberの好みも、その人自身の上手さというよりかは、選曲で好きになることが多いわけだ。だって上手い人いっぱいいるからわかんないし…

 

今日も、Youtubeでピアノの動画を見ていると、演奏している人を称えるコメントがちらほら見られた。クラシック音楽を弾いたものなら、なおさら顕著だ。

 

それを見るたび、自分の心がみじめに見えてしまう。

 

自分は演奏している人の違いもわからないのか。

 

誰かの演奏で、感動することもないのか。

 

…本気で悩んでます。

 

ねえ、旅行いこうよ


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こんなご時世なので、今日はジャニーズの楽曲について語ろう。

 

Hey! Say! JUMPの代表曲、「ウィークエンダー」。ネット上でも神曲だと言っている人は多く、私も好きなのだが、改めて歌詞を見て聞くと…

 

 

あれ?この曲実はエロいこと歌ってね?

 

 

と思うようになってしまったのだ。聞けば聞くほど引っかかるワードがあって、そういう内容を歌っているようにしか思えなくなってしまった。自分がただの変態だからそう聞こえるだけかもしれないけど、ひとまず私の見解を述べよう。

 

まず、タイトルの「ウィークエンダー」。意味は、「週末に旅行をする人」らしい。考えすぎかもしれないが「旅行に行こう」というのが、私にはある種の誘い文句にも聞こえた。

 

そして、「土曜日の夜」というワード。表向きの考察としては、この曲がタイアップとして使われたドラマ「金田一少年の事件簿」(主演:山田涼介)が、土曜日の夜9時からの放送だったことから入れられたのだと思うが、土曜日の夜というのは、つまり次の日が日曜で休みだから女と一緒に寝ても仕事に支障がない、ベストな時間なのだ。

 

他にも:

「宇宙一暑い夜」:ホットですなぁ。

「最高に魅力的な謎を解く」:謎を女に例えてる?君を攻略したい的な?

「引いてみて」「ガッついて」「乗ってきて」「乗せられて」:なんとなく行為を彷彿とさせる。

 

「水金恥火木」これがいちばん、ウィークエンダーエロ曲説を確信したワードだ。水金…という並びから、これは曜日ではなく惑星の順番をもじった歌詞だと思われるが…

「恥」?

「恥」から始まってちきゅう、と読むワードって…

 

あと、MVの初手山田のカットが事後に見えたのって私だけ?

 

七八割がたこじつけかもしれないが、以上。

 

 

他に好きなところ

この曲、全体的にディスコ調で好きなのだが、私が特に好きなポイントが、2番Aメロのはじめでピアノの豪快なグリッサンドが鳴るポイントだ。あと、イントロと所々で鳴るシンセのグリッサンドも好き。

MVもカラフルでいいね。

 

 

ジャニーズ、ここ最近いろいろと大変だが、ジャニーズアンチなんてのは、騒動が起こる前から少なからずいたもんだから、イノッチさんも東山さんも、あまり気を病まずに、一定数のどうしても許してくれない輩はそのまま無視してほっぽってしまえばいいのだ。そして、新たなる一歩を踏み出せばいい。それだけだ。なかなか「J」のブランドを手放すのは勇気のいることだが、よく言ったと思う。でも、「J」の名前が消えても、ジャニーズの精神、これまで作ってきた文化は絶対になくならない。影響を受けた人がここにいるからだ。

私が、またジャニーズのような神曲+キラキラ王子様系アイドルグループをいつか作って見せる。もちろん、セクハラはなしで!

頼れない

zumo0210.hatenablog.com

 

人に頼れないというのは、どのような感情からどうなるのだろうか。

 

人を信じられないから?

 

単にめんどくさいから?

 

昔からなぜか人に頼れなかった。いや、人に頼るという選択肢が元々なかった。このままじゃ自滅してしまうことは分かってるけど、やっぱり頼れない。

 

 

じゃあ、めんどくさいのはどうして?

 

頼るためにわざわざ人と話すのがめんどくさいから?

 

じゃあ、人と話すのをめんどくさいと感じるのはどうして?

 

 

…人とコミュニケーションがうまくいかないから?

 

いかないから、頼っても答えが得られない、それ以前に門前払いされる、嫌われる…

 

→「じゃあもういいや…人に頼むのはやめよう…」

 

これが今の見解だ。

 

人とコミュニケーションがうまくいかないのは、もう、どうにもすることができないと考えている。会話というのはリアルタイムで作り上げていかなければならないものだから、無理だ。できないことはできない。いつかできるようになるというわけではない。

 

大好きさエイリアン

 

 

それはかつて一部の音楽通にとっての「月の裏」だった。

 

キリンジの「3」は言うまでもなく名盤である。リリースされたのが2000年の11月。20世紀の終わりである。本当にシングルだけを集めたようなアルバムだが、その中に、ひときわ凄まじい魅力を世に放つ曲がある。

 

私がキリンジの世界に入ったのは家にたまたまあったペイパードライヴァーズミュージックからなので、特別この曲に思い入れがあったわけではないが、この曲が深夜によく合うこと合うこと。

 
思えば、これが堀込高樹氏の曲ではないというのが、不思議だ。昔はそう思っていたが、兄弟それぞれの特徴として、兄は自分のセンスを追い求め、弟は普遍的な音楽の良さを追い求めている傾向にある気が私はする。となると、この曲が世間に名曲として受け入れられたのは妥当だ。兄の曲は良くも悪くも難解だったから。近年のKIRINJIはそこを克服しているのだろうか。
 

…しかし、今となってはそのベールもはがれ、もう「月の裏」では無くなってしまった。YoutubeのMVの再生回数は今や2600万回を超えている。秦基博はまだしもどこの馬の骨ともわからない歌い手にカバーされている。もどかしい気分だ。

 

今の人類にとっての「月の裏」はどこにあるのだろうか。街を見れば、いたるところに人の目、政府の目、防犯カメラの目、どこかで確かにずうっと見られている。

 

月の裏も、僻地も、いつかは無くなってしまう。もうじき人類は月に旅行に行けるようになるだろうし、僻地も建物が建つかもしれない。

 

いつか私も、この歌のように誰かに心のありったけを捧げるようになる日がくるのだろうか。今はまだ、本気で愛している人がいない。東京に行ったとき、後輩たちが「推し」のグッズをアニメイトで買いあさる中、私は一人、東京に価値を見出せずに表参道をさまよっていた。誰かを想ったことがない。でもつい最近キンプリにはまった母は「推しは突然できる」と言っていた。そういう日がくるのかな。ちゃんと人を愛すことができるのかな。

 

 

それにしても、このエイリアンズの動画で、気持ちよさそうにコメントしている人たちの一体どれほどの割合がこの曲の良さを真に理解できているのかは気になる。そういう自分も、どれだけ理解できているかどうかは分からないけど…

というかそこまで深堀りして聞くという行為がどうなんだろうか。分からないものは、分からないままにしておくというのも必要だと私は思う。


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